始まりは就業中のめまい、様々な症状も首こり治療で大きく改善

症例 NO.079 54歳 男性

はじまり

それは突然の「めまい」から始まりました。

6月末、就業中に体が「ゆらゆら」と前後左右に地震と錯覚するほど大きく揺れるのを感じ帰宅。それから3日間は5分と起き上がれない状態で寝たきりとなりました。その時、後頭部から首にかけて何かとても重い物が乗っているような強い感覚を記憶しています。それは53歳にして初めて体感するものでした。

病院探しと症状の出現

それから3週間仕事を休むことになり、この間、様々な医療機関を受診しました。

①整形外科
首の違和感と、既に頸椎椎間板ヘルニアを発症していたこともあり、先ず、かかりつけの整形外科を受診。「めまい」について、むちうち症にたまに見られる症状と言われ、両肩に太い関節注射をされました。しかし、症状は全く改善されず、新たに頸椎専門医が居る総合病院を紹介されました。

②頸椎専門整形外科
MRIとX線検査後に診察。「貴方の頸椎椎間板は傷んでいますが、ひどくはないです。日常生活に支障ないでしょ。」の一言で、めまい症状への所見は何も有りませんでした。

③めまい専門クリニック
インターネットで自宅に近い「めまい専門クリニック」を探して受診しました。問診の後、聴力と耳鳴等、耳の検査。更に平衡感覚関連検査があり、その結果、「めまい」症状が確認され、診断病名は「内耳性眩暈症」ということでした。点滴と投薬で症状がやや落ち着いた頃、脳のCT検査を受けましたが特に異常は見つからず、その原因については明確になりませんでした。ここまでに10日が過ぎていました。

通院と薬の効果か、「めまい」の症状がやや軽くなったと感じ仕事に復帰した頃、頭痛と眼痛を意識するようになりました。

④眼科
7月末、近隣の眼科を受診しました。目が疲れやすく、両眼(特に右目)の眼球奥に後頭部側から刺すような痛みがありました。各種検査を実施し診察では、「ドライアイ」以外は眼球そのものに異常なし、ということでした。遠視である私の場合、老眼の進行に際限がなく2年に一度の間隔で眼鏡を作り替えていましたが、当時は眩しさがとても気になり、レンズを調光用に変更していました。

8月下旬、延び延びになっていた会社の健康診断を受けました。その際、問診担当医師より「脳ドック」及び「神経内科」の受診を勧められました。

この頃の私は、「めまい」よりも「頭痛」の方が重篤な問題となっていました。それは鉢巻できつく締めつけられた様な感じで起床と共に始まり、就寝するまで止むことはなく、ついには眠れない夜が多くなっていたのです。

⑤神経内科
9月下旬、先ず、会社近くの神経内科で「脳ドック」を受けました。検査結果は、一般より脳内血流が悪いとの指摘以外に異常は無いというもので、「頭痛」に関しては「緊張性頭痛」で薬を飲めば3週間程で消える、とのことでした。

言われるままに自宅近くの神経内科を受診し、薬を処方してもらい服用を始めました。確かに、薬を飲んだ後は頭痛が止み、眠れるようになりましたが、それは一時的なもので翌朝には再び出現し、完全に消失するには至りませんでした。

東京脳神経センター

10月中頃、妻がインターネットで「東京脳神経センター」のHPを見つける。「30項目の問診票」を見て驚いたのはその質問内容でした。それらの多くは日常で当り前に使用している言葉でありながら、今まで受診した各医療機関で殆ど問われたことが無いものだったからです。あまり深く考えずに答えた「はい」の数は、18個。
12月15日、「頚ドック」を受けました。一連の検査終了後、問診から触診があり、北條俊太郎先生から告げられた病名は、「頚性神経筋症候群」。画像診断を交えながら現状と原因、ここに至るプロセス、そして治療方法について詳しい説明を受けました。「ストレートネック」や「低周波治療」、病名と同様に初めて聞く言葉が連なりました。

12月29日、正式な検査結果が自宅に届きました。その間、「頚性神経筋症候群」について学習していた私は現状と結果の整合性を再確認しました。

年が明け1月初旬、検査結果を会社に報告した後に再度の受診。北條先生は、私の従事する仕事内容と環境、その立場について十分に理解された上で最適な治療形態として「入院治療」を勧められ、松井病院へ入院の予約をして頂いたのです。

自分、首と肩

私は、道路舗装会社に勤務し設計業務に従事しています。ただ、対象は高速道路や一般道ではなく特殊性、機密性が非常に高いもので、設計から建設、システム開発にも関わり、プログラマも兼ねるシステムエンジニアでもあります。

現在業務に関わって27年、その間、使用ツールがドラフタ(製図版)からパソコンによるCADへと大きく様変わりしました。50歳を過ぎた今でも1日に10時間、多い時には16時間、即ち、長時間同じ姿勢のままパソコンに向かっているという状況です。

数年前から、首や肩凝りの強さが増し出現頻度も多くなりました。強い頭痛も加わりましたが市販の湿布薬等により2、3日程度で治ったので特に医療機関へ出向くことは有りませんでした。そしてその時期は、業務上の使用パソコンがデスクトップからノート型へと変わった頃と合致しています。

春、突然、5年程続いた首や肩凝りそして頭痛が消失しました。理由は判然としないものの単純に解放されたと喜びました。しかし、それが今回事態への重要な警告だった事を後々思い知らされることになるのです。

「30項目の問診票」に、「首が痛い、張る」と「肩がこる」という質問があります。東京脳神経センター初診時、私の答えは両者とも「はい」でしたが、実際に凝りや張りの自覚は皆無で、触ってみると異常に固いのでそう答えていました。要するに凝り過ぎていて自分では何も感じなくなっていた、ということらしいです。

すっきりセンター千葉での通院治療

入院待機の間、通院にて「低周波治療」を受けることにしました。幸いなことに通勤経路上で自宅から30分弱の所に「すっきりセンター千葉」が在り、計画から検証実験の繰り返しという職業柄、幾つかの通院パターンを1月6日より試しました。

①通常勤務で就業前、または終了後に治療を受ける。(2週間と最終1ヶ月)
②勤務終了後に治療、翌日は自宅で安静にする。(2週間)
③完全に休業し自宅安静状態で毎日、または隔日で治療を受ける。(1ヶ月)
④症状改善を確認出来た直後に治療を止めたらどうなるか。

上記パターンの試行目的は、率直に「低周波治療の効果と持続の確認」でした。

通院治療開始後2ヶ月で問診項目の「はい」が18個から11個に減り、2月に完全休業して実施した時は「頭痛」や「めまい」が日毎に弱まるのを実感、周囲から「顔色が良くなった」等の好反応がありました。3ヶ月目から通常勤務を再開しての治療ではそれ以上の症状改善は見られませんでした。4月中頃より、仕事との折り合いが付かず通院を断念せざるを得なくなった私は最後のパターン④の検証に入りました。案の定、頭痛は以前と同様に強まり、再び常時起きるようになりました。結果について私の場合は、

・「低周波治療」は間違いなく効果がある。
・自宅安静状態で毎日治療を受けることが最も効率が良い。

というものであり、継続かつ連続性、そして安静確保の重要性を強く認識しました。言い換えれば現状の勤務環境下で通院しても完治は望めない、ということでもあり、更には、症状消失後の治療も極めて重要である事を確認した次第です。

導かれた結論は、「入院して治療を受ければ必ず治ると確信する」というものでした。

入院治療
9月18日、松井病院に入院。入院時診察では、「安静を保つ」、「頚の筋肉を休めること」を強く申し渡されました。更に一言、「時間が掛かるので焦らずにね」。

ホットパックから2回目の電気治療、電気鍼と治療ローテーションにも慣れ3週間が過ぎた頃、症状項目は減っているものの肝心の頭痛や眼痛には変化が無く、通院治療の経験から予測していた成果に対し低迷していると感じた私はその原因を考えました。

「安静」、「頚を休める」ことが実際に出来ているのかどうか、起床から就寝まで1日の行動を振り返ると、治療と15分間の散歩時間以外は病室でテレビを見て新聞や雑誌を読み、携帯電話を使用している状況では、ただ横になっているに過ぎず、治療の効果を妨げているのではと考えられました。

「頚の筋肉を休める」という事に対する考えの甘さを痛感した私は、「眼」と「耳」、更に「両腕」を必要以外に使わないことを徹底的に実行することにしました。テレビは見ない、本も新聞も読まない、携帯電話やヘッドホンステレオも封印しました。食事は入院食のみで間食は一切せず、飲み物も水とお茶だけにしました。そして、ベッドに横になっている時は、極力、考えることをも止めるようにしました。

5週目から症状が和らぐのが解り、6週終わり頃には頭痛を感じない時間の方が圧倒的に永くなっていました。そして、11月3日、起床時から全ての症状を感じることなく消灯まで爽やかな1日を過ごせました。それは以前の健康だった頃を思い出させてくれるような感覚でした。入院から47日目のことです。その後、症状は出現と消失を幾度か繰り返しながらも体調は良好な状態を維持出来ていました。

退院へ

11月10日、松井先生の診察を受けました。

「症状が消えた?本当かな、どれどれ」と触診。「ここは良くなった。ここも痛くないね。ここは少し引っ掛かるね。うんうん」触診終了。「トンネルの出口がはっきり見えたね。私の予想は4ヶ月だったんだけどね、そんなに掛からないよ。」とカルテを指さし、自分の事のように嬉しそうに話してくれました。

その後、頚の場所を変更しながら治療が続き、体力及び足腰の筋力回復のための歩行訓練を、30分から45分、やがて1時間超へと増やしていきました。

12月1日、院長先生による最後の診察。前日に撮影された頚椎のX線画像ではストレートだった骨の並びがダイナミックではないものの、一見して曲線を描いている事が解りました。30項目の問診では、「睡眠時の目覚め」の1項目だけが残っていました。自宅で有れば熟睡出来ると思っていたので、実際には全ての症状が消失したと言えます。

12月3日、退院。

ほぼ全ての症状が消え、体調を崩す以前の自分を取り戻したあの日から、丁度、1ヶ月後、入院から77日目でした。

退院後

年が明け1月8日。退院してから1ヶ月が過ぎました。私は退院の翌日から「すっきりセンター千葉」にて通院治療を受けています。当初はほぼ毎日、現在は1日おきです。今月末を目標に、治療頻度を週3回から2回、やがて1回と減らしながら反比例するように勤務を週1日から2日、3日と増しての職場復帰を目指しています。

入院前の通院治療の経験から、退院後も治療を継続することは必要と考えていましたが、それは主に「通勤対応と体力回復」を念頭に置いたものでした。しかし、実際に完治してみると、「再発」及び「治療を止める」ことへの恐怖心や不安が強いことを退院前から感じるようになっていました。

私の場合、頚の筋肉が金属疲労を起したようなものですから、勤務中に疲労した筋肉をいかに休ませることが出来るかであり、再発防止は日常生活の自己管理が全てで有ると考えます。一方、「治療を止める」ことへの不安は、「治療依存体質」を形成しかねないと思いましたので、退院後の治療頻度と勤務強度が反比例するように自分なりに計画して、退院時に松井先生に相談させて戴いたものです。

徐々に1週間の勤務日数及び1日の就労時間を増やしつつある中、症状は全く出ていません。退院後フォローである計画的通院治療により、やがて不安も消え、自信を持って完全に職場復帰できるものと考えています。

終わりに

入院して驚いた事は、患者数の多さ、また、10代から20代と若い人の割合が高いことです。今後、自分の職場では知識や技術の伝承だけではなく、進化する作業環境がもたらす負の部分についても警鐘を鳴らし、伝えていかなければと思っています。

入院中、私はまるで何かの修行の如く自分を厳しく律しましたが、それは早期回復を目指したものでは無く、この病の治療を受ける患者として果たすべき責任と考えたこと、また他に改善、努力すべき事が見つからなかっただけのことです。

この病に苦しむ方々が全国に居られると思います。その中で私は、「東京脳神経センター」、「すっきりセンター千葉」と、通院環境に恵まれ、その治療方法と効果を事前に確認出来たことが完治への確信に繋がり、とても幸運だったと思っていますので、今後、この病を診る、及び治療できる医療機関並びに施設が増えていくことを切に希望します。

最後に、この病の場合、例え症状が同じであってもその発生原因やプロセス、また骨格、筋肉構造の個人差によって同じ治療を受けても、各人の回復への道程が異なると思われます。よって、ここまでに記してきたことは私だけに当てはまる事なのかも知れません。ただ、ひとつだけ伝えたいことは、大変多くの方々に支えられながら

「間違いなく完治して戻ってきた人間がここに居ます」ということです。

症状経過