20年以上悩んだ原因不明の症状が改善し、自殺を思いとどまった

症例 NO.066 39歳 女性

長い長い橋を渡り終えて…
思い起こせば、目の奥が重く、フワフワ感があり、自分は何か外の人とは違うと意識し始めたのは、中学生の頃だったかと思います。

高校の後半になりますと、だるさで、歯も磨けない状態の時期があり、一度に虫歯が8本も9本も出来た事もありました。新聞で、目の難病の記事を見つけ、家族に内緒で、初めて飛行機に乗り、遠くの大学病院まで行った事もあります。短大の後半では頭に大きな石が乗っかって、体が地面にめり込むかの様に体が重く夜中に息が出来なくなり、病院にかけ込み、その時は狭心症ではないか?と言われました。

卒業してからは、自分の精神の弱さに問題があるのでは?と思い、様々な困難な事にあえて挑戦してみたりしました。が、すぐに体がだるくなり、そのだるさを忘れようと、又、無理をして活動的になってみたりのくり返しで、精神的にも安らぎの時間が無く、常に自殺願望がありました。

そんな中、十数年前、バイク事故が起きました。軽トラックとの衝突、私はバイクごと、3~5m飛ばされ、えん石に頭が乗る様な形で落下しました。今思えば事故以前より、ヘルメットというものはこんなにも苦痛なものなのか?と思いながら着用していました。事故後はヘルメットを首で支える事が出来ず、クニャッと左へ曲がり、もうバイクには乗れなくなってしまいました。

事故後、数年経ってから天井がグルグル回るめまいが始まりました。

人生初めての交通事故という精神的ダメージからも抜け出せていなかった私は、ひたすら朝から晩までテレビを見続け、思考を意識的に全てストップさせました。ベッドからもなかなか起き上がれない日々が4年程続きました。周りの友人が次々と結婚して行く中、ふとこのままでは廃人になってしまうと思いました。記憶力も集中力も言語も恐しい位低下していました。

4年程経って、少し、自然に良くなって来ましたので、私はリハビリを兼ね専門学校に入学しました。が、やはり体調が思わしくなく、1年休学しました。何とか卒業はしましたが、それを生かした仕事に就く事は出来ませんでした。肉体的にも、精神的にも、停滞し、何とか道を開こうと海外へ1年程滞在してみたりもしました。今考えると、失いかけた人間性を取り戻したかったのだと思います。しかし、日本に戻れば現実が待っているのです。せいいっぱいがんばってがんばって、何か行動を起こしたとしても、周りからは遊んでいるとしか思われない、地元の病院に行ってもウツとしか扱われません。(首が悪いだけなのに…)

一時期話題になった髄液が減少する病気を疑い病院に行った事もあります。メニエール病の検査も、脳波も、MRIも何度も撮りました。地元の脳神経外科では軽い弛緩剤を処方されました。首の痛みにはよく効きましたが、短期間に徹夜続きでミシンを使った作業をしていました所、状態が悪化し、体が弱っていたせいか、弛緩剤も心臓が痛くなるので、飲む事が出来ず、半年間、一睡も出来ない様な状況が続き、唾液が絶えず大量に出て、歯が痛くなる程飲み込みました。そして、音が無性に気になり、集中力が全く無くなりました。

何かしなくてはと思っても、絨毯の上にへばりついて、なかなか動く事が出来ませんでした。その様な状態にありながらも、理解してくれる人が一人もいない状況を誰が理解出来るでしょうか?周りからは、元気なのにブラブラしている人としか思われないのです。私は度々、橋のまん中に立ち、飛び下り切れず、帽子だけ落として帰った事もあります。プカプカと浮いたまま、なかなか沈もうとしないその帽子を遠くからずっと見ていました。

ずっと、自分の気持ちを押し殺して来ましたが、様々な環境の変化不安からいよいよ感情を押さえ切れなくなった頃、松井病院の記事「職場ウツは首の治療で治る」という見出しの雑誌の広告を見付けました。

雑誌を購入して記事を見ますと、まるで、私の事を誰かが空から見ていたかの様にピタッと全て重なりました。目がまぶしいですとか、驚く様な症状さえ、首が原因だったという事を知って恐しくなりました。又、小さい頃に頭を打った事がある人もなりやすいと書いてあって、思い当たる所がありました。問診表は、丸が27個程あったかと思います。

病院では、これまでの経過、画像診断、触診により、典型的な頚性神経筋症候群と診断されました。病名がやっと確定し、長い苦しみを理解して頂いた事で、初めて自分の存在が認められた気がしました。頚椎にヘルニアがある為、全治3ヶ月の入院と言われました。1ヶ月の神経に良いビタミン剤の点滴、ホットパック、電気針、低周波、トプラーによる電気治療が始まりました。

治療を始めて、二、三週間経った頃でしょうか?トプラーをかけますと、後頭部のモヤモヤした感じが、パッと晴れて、又、朝になると戻っているのですが、くり返すうちに、イライラ感、フラフラ感と共に消えて行きました。まっすぐ、大地を歩いているという感覚を得ました。

点滴も終わり、1ヶ月半程経った頃、ずっと気になっていた頭頂部の違和感、さわったら頭がくらくらして、気を失う様な重い物が乗っている様な、一点の変な感じが次第にとれて来ました。

不安感などのウツ症状につきましては、あきらめかけていた3ヶ月目程で気が付くと消えていました。首のだるさ、目の奥の重い感じ、眠たい様なまぶたの脱力感、話をするのもキツイ症状はほぼ、3ヵ月半で同時にとれました。

その頃から、話をしたり、笑ったりする事が、楽になりました、もう作り笑いをしなくていい!心の底から楽しいと思える自分がそこにいました。3ヶ月目の後半は、なんとなく、言葉が滑らかに出て来る様になりました。4ヶ月目を過ぎた頃、不快でした様々な症状のほとんどは無くなっていました。首の支えづらさと、首のまん中に痛みがありましたので、もう少し、治療を続けさせて頂く事にしました。

しばらくすると、耳の下に大きなしこりが出て来て、それが小さくなると共に、首の支えづらさ、肩の痛みもうすれて来ました。首が、今迄に無い程、良く左右に曲がり、首・肩が羽が生えた様に軽くなり、人生の重いリュックを降ろし、頂上でおいしい空気を吸っているといった感じでしょうか?本当に、本当に、首を治せば病気は治るという事を実感しています。

この病名がもっと一般的になり、身近にこの治療を受けられる施設が出来れば、無駄な労力を使わなくて済みます。そういう日が一日も早く来て欲しいです。どうぞ、よろしくお願い致します。本当に、松井病院のスタッフの皆様、松井先生、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

症状経過