頭痛、吐き気、微熱、肩こり、目の疲れ、ウツ症状が改善

症例 NO.069 45歳 女性

高校のグラウンドでインターハイを目指し、黒に日焼けをしていた頃を思い出します。
健康だった私に戻れた喜び!私は治ったのですね。

元気と丈夫な体だけが取り柄の私が、大学生になった頃からサングラスが手放せなくなっていました。ファッションではありません。日の光がまぶしく辛いのです。辛さをこらえていると頭痛が起こり、吐き気にまで発展してしまう。なぜ、私は変わってしまったのでしょうか。

就職をした頃から、首・肩こりがはじまりました。原因は何だったのでしょうか。仕事で同じ姿勢をとっていることが多くなったこと。それに加え、上司、同僚、お客様と同じ目の高さで話をするうち、ビンと伸びていた背筋が前かがみの姿勢に変わってしまったようです。夫も私より5cmほど背が低い。私はかなり、背の高い体型をしています。それも一つの原因でしょうか。

はじめは首・肩こりだけだったのですが、硬くこるようになるにつれ、頭痛、吐き気に発展するようになりました。整形外科で「ストレートネック」と診断され、首に直接痛み止めの薬を注射する治療をしました。しかし、一時的に痛みがなくなるだけで治りはしませんでした。この頃、首が痛くなると台風が近づいていることにも気づきました。いったい何なの?私の体。

世の流れか、事務仕事も手作業からパソコンでの作業に変化してきました。導入された当初はデスクトップを使用していましたが、持ち運ペ、セキュリティも各自に任せられるノートパソコンの利便性が注目されるようになり、より小さな画面を長時間見つめる日々がはじまりました。目が疲れ、首・肩こりは以前より辛くなる一方でした。

ある日、微熱が続くようになり、疲労感も加わり仕事から帰れば家で倒れるように横になるようになってしまいました。自分だけではなく、家族にも辛い思いをさせるのは本当に辛かった。治したい一心で、大学病院を頼り、内科から内分泌科、婦人科、整形外科、循環器科、眼科、脳外科を受診するも、「特に悪い所はありません」という結果に。最後に受診させられたのが「精神科」です。ついに「うつ病の疑い」との診断がくだり、抗うつ剤を服用しはじめたのが3年ほど前になります。

薬に頼ってもカウンセリングを受けても体調が良くならず、ある日「死にたい」と患っている自分に気づきました。「そんなバカな!本当に私はうつ病なの?」何とかしなければならないと思いました。必死に解決策を探しはじめた昨年の冬、松井先生の説く「頚性神経筋症候群」について知りました。私が別々の病気の症状だと思っていたものが全て「首」を治せば治る。日から鱗が落ちました。そして、先生が作成された「30項目の問診表」で24個もヒットした時点で、東京脳神経センターに予約を入れたのは言うまでもありません。

私の人生はここで変わりました。東京在住でいながら、仕事時間の都合で通院がままならない私は、思い切って入院治療を選択しました。長い年月苦しんで来たのだから、人生の夏休みだと思うことにして…

仕事を休むにあたり、「知らない病名だ。なぜ香川県で入院する?」と上司に疑いの目をむけられましたが、「今の日本では私を治せるのはここだけです」と説得し、飛んで来たのでした。パソコンのない世界は、しばらくぶりです。空も海も美しく、お魚は美味しい。よい環境の中で治療ができることに期待でドキドキしていました。

私の目標は2つ。  1.首を治し、各症状を治すこと。  2.抗うつ剤をやめること。

入院治療が進み、1か月が経ったころ、劇的な変化が表れて来ました。あきらかに症状が消えて行きます。まぶしくない!手足の冷えがなくなった!首・肩・頭痛が軽くなった!台風が来ても元気だ!!20年以上悩まされた休調不良が消えて行く喜びは、すばらしいものでした。そして、理事長先生から「そろそろ抗うつ剤を減らしていきましょう」という方針が出され、「これで私は治る!」と確信しました。晴々として薬を減らして行きました。但し、薬の怖さも思い知らされたのでした。退薬反応によるものか、自律神経がつかさどっているものがうまく調整できないらしく、一時的に体調も精神面も辛くなってしまったのです。そんな不安な私を支えてくださったのが看護師さんをはじめとする病院のスタッフの方々でした。皆さんの適切なアドバイスがなければ乗り越えられなかったと思います。

「2カ月の入院治療を要す」と診断された私は今日、1ケ月半の香川県での入院生活を終え、東京に帰ります。本当に治って良かったと実感しています。人生の夏休みをすばらしいものにしてくださった先生ほか、皆さまのおかげです。ありがとうございました。

症状経過