不定愁訴に悩まされた半生、うつも首の治療で効果

症例 NO.070 51歳 女性

私の半生は首・肩などの凝り、眼精疲労、腰痛、手足の冷え、不眠、慢性疲労などの不定愁訴との闘いでした。それらを時の経過を追って書いただけでは、実に何十種類にもなろうかという治療法や健康法を実践してきたため、繰り返し列記するようになり、わかりにくいものになるかと思われますので、以下に項目ごとに整理して記載することとしました。

(1)発症・症状について

16、17歳頃から高校・大学の受験勉強がハードさを増して、数年程続き、眠っても疲れが取れない、朝起きるのがつらい、目まいがするなどの兆候が生じていました。苦労してやっと大学に入学した19、20歳には、肩凝り、だるさ、慢性疲労、不眠(夜寝つけない、朝起きられない、休日にいくら眠っても疲れがとれない)という症状が重症となり、頭からベールをかぶったように目がかすんだり、目がチカチカして講義を受けられなかったり、本も読めなくなったりして、学業が挫折してしまいました。が、何とか休学・退学はせず、治療(有効なものはありませんでした)や休養しながら留年しても卒業しました。

その後就職し、さらに様々な治療法・健康法を試みながら、何とか仕事を続けてきましたが、有効なものは見つからず、症状が何も改善されないまま30年程の歳月が過ぎてしまいました。成人してからの健康な状態をほとんど経験できない、いわば“半健康”か“半病人”という状態で半生を過ごしてきました。

(2)今まで試みてきた治療法等について

症状が重状化した20歳の時、内科で検査を受けましたが、「異状なし」でした。医師からは「気のせい。気分を明るくするようにすればよい」としか言われませんでした。しかし、やはりつらいものはつらく、いつになっても症状はなくなりませんでした。

「こんなにつらいのは何故?何か原因があるに違いない。何とかして治したい。さもなければ、自分らしく、まともな生き方をすることなど無理だ」と思い本や新聞・雑誌を読み漁り、講演などがあれば聞きに行き、治療法、健康法を探し求めました。そしてこれはよいと思う物を実践していこうと考えました。

長年に及ぶ“ワンダリング”が始まることとなったのです。大学生の頃はお金もありませんでしたので、保険適用の病院だけでした。どうしても当時、一般的な内科などでは対応できそうなところはなく、このような不定愁訴は精神科しかなさそうだ、心の病とは思えないが、(当時は今のように“うつ”の認知度が低く、偏見・誤解が根強く、受診しづらいものがありましたが)治せるのならと勇気を出して精神科の門をくぐるきっかけとなりました。安定剤などは処方されましたが、体の不調は根本的に改善されませんでした。

不安定な健康状態ながらも、就職し、何とか仕事をしながら、さらに本格的にお金もかなり投資して、優れた治療法、名医等を求めて東奔西走しました。25年くらい前には自律神経失調症の専門的な治療を行っているという東方医大の心療内科を受診しました。漢方薬や自律訓練法というメンタルトレーニングなどの療法が施されましたが、仕事をしながらの通院が続けられず、肩凝りの解消もできずに終わってしまいました。

心身両面に症状があり、昔から「心身一如」と言われるので、やはりメンタル面も大切であると思い、大学時代に心理学のカウンセリングを受けたりしたこともありましたし、15、6年前くらいに「ストレス・マネジメント」というアメリカの心身医学を取り入れたクリニックに受診したりもしました。一部保険が適用されず医療費の高い所へ行くようにもなり始めました。

また、病院・西洋医学でうまく対処できないなら、鍼灸などの東洋医学を始め、「治せる」とはよく読むと書いてはいませんが、広告に「不定愁訴」という表現が書かれてあれば、さらに本やチラシなどを読んで納得した上で、整体、カイロプラクティックなどの療術、さらには良くなりさえすれば多少高くても、治る可能性がありそうな物は、だまされたと思って試してみようと考え気功、催眠術やその他様々な物を渡り歩きました。

またそうしている間にも西洋医学で新しい療法が注目されると試してみました。自費のもの(電気治療その他)にも投資したり、症状が悪化しているのにペインクリニックなども頑張って治療を続けていました。もう様々なことをして20年くらいが経過し、何種類もの治療・施術をし、何十か所の病院・治療院に行ったか、一体どれ程のお金を使ったか分からないくらいになていました。そこまでしたのも、体を治したい一心からでした。

そんな長年の空しい努力の後、数年程前から眼精疲労治療を専門に行う眼科に通院し、「眼精疲労」の診断書を受け、その後に通院したメンタル・クリニックから「慢性疲労症候群」、「抑うつ状態」と診断され、ドクターストップがかかりました。その後2年半以上の病気休職が続き、今日に至っています。

(3)この病気のつらさ

不定愁訴は、検査しても分からない、有効な治療が分からないということで、医療の支援が受けられないことが根本的につらいことです。また症状が多様ではっきりしないので、伝えにくく、周囲に理解されず、「たいしたことではない。その程度なら誰にでもある」というように相手にされなかったり、非難されたりして、支援が得られません。医療の支援がないので、なおさら孤立無援の状態です。

しかし、「自分の体に一体何が起きているのか」分からないままでは到底耐えていけるものではなく、「何とかして治したい。体さえ治って、元気にさえなれば、がんばって人生を送ることができる」という思いで、孤軍奮闘してきました。にもかかわらず、たくさんの試みに挫折し、莫大な時間とお金を浪費しただけでした。さらに仕事も思うようにできず、人づきあいもままならず、人間関係も崩れてしまいます。

「どうして自分だけがこんな目に」「生きているだけでつらい。どのような難病奇病なのか」「何かの災いか。祈祷か、やく払いでもしてもらわなければダメなのか」と散々思い悩み「うつ状態」になり、どうにも救いようがないという気持ちまで追い詰められると、「もう生きていけない」という思いに陥ってしまいます。

また私は重度の花粉症ですが、それでもこの病気よりはるかにましです。というのは花粉症は季節が限られており、周囲が皆理解してくれるからです。不定愁訴は花粉症より多くの症状に悩まされ、24時間365日、何年も何十年も続き、周囲から誤解されるものだからです。

(4)CNMS治療との出会い

2年半以上も「慢性疲労症候群、抑うつ状態」、「眼精疲労」で休職中の今年雑誌で松井先生のCNMSとその治療法の記事を読みました。不定愁訴やうつ状態の原因は首の筋肉の異常であり、電気治療等で副作用なく根治療法ができるというものこそ長年私が求めている治療ではないかと直観しました。

心身の不調は体だけ治療しても、精神だけ治療しても治らないため、脳を治療することこそ心身両面が改善されるのではないかと考えていました。ただ若干の不安もありました。今まで良い治療とすすめられたものの趣旨をよく理解して、指示されたとおりに治療を受けたにもかかわらず、期待は失望に終わっていたからです。

また10年くらい前電機治療を自費(15回分の回数券を最初に購入するシステム)で行っていた医師のクリニックに通いましたが、苦痛があり、予期せぬ良くない結果になってしまったことがあるためです。しかし、この治療を逃すべきではないと思い、東京脳神経センターへ通院を開始しました。

ストレートネックで首の筋肉に凝りが認められ、治療対象になるということで、早速治療を開始しました。以前の電気治療とは異なり、実に快い治療でした。今までの苦痛だったり、症状が悪化したりする治療法とは異なり、「快適に治癒される」治療で、当初問診表の該当項目が20以上あったのですが、2ヶ月程で数項目減少しました。治療中の気持ち良さは、しばしばウトウトと眠気を催しました。これが効果が出ている状態だと思われました。きっと副交感神経が良く働いているのではないかという感じです。

松井先生に目にペンライトを当てられる検査では瞳孔が開いているとのことでしたので、交感神経が優位であったわけです。それが副交感神経優位に切り換ったのではないでしょうか。そんなわけで治療に通うのがとても楽しみでした。そして、早期の根治治療を図るため入院治療を松井先生からすすめていただき、入院したところ問診表の該当項目はさらに減りました。うつ状態の項目もほとんどなくなっていました。

メンタルクリニックでは、症状が悪化しているのに、一年以上も「これを飲まなければ治らないですよ」と言われ、同じ薬を処方され続けていました。

ところがCNMSの電気治療を受けるようになってから、体調が良くなり、抗うつを飲む必要がなくなり、うつ症状もどんどん改善されていきました。さらに首の状態が、肩凝りや気力が萎え、うつ状態にも陥る原因ともなり得る眼精疲労(目のかすみ、目の奥の痛み、疲れ)が取れ、問診表はほとんど該当する項目がなくなりました。

病院では薬の処方という対称療法を行うだけで、病気の原因は追求しないもの、不定愁訴は扱わないものと思い込まされていただけに、私にとっては画期的な治療でした。これから、本当に自分らしい充実した生き方を追求していけるように社会復帰を目指して努力していきたいと思っています。ありがとうございました。

症状経過