活発で体力には自信あり、身体は風邪も引きにくく、大病はしたことがない。
元気だけは人一倍あり、インドアよりアウトドア派。
若い頃は良く動き、良く遊び、活動的な生活をしておりました。
24歳で長女出産。続いて27歳で次女出産。28歳で離婚をし、子供二人と三人の生活になりましたが、毎日元気に生活できていました。離婚して1年ほど経ったころ、長女を連れてタクシーに乗車中に追突事故に遭いました。
信号停止中、抱いていた娘が寝始めたので、抱きなおそうと少し体をシートから浮かせ、しっかり抱きなおした時、後ろから衝突。その衝撃は首がとれたかと思うほどでした。シートに体をつけた時、シートがこちら側に膨れ上がっているのに気が付き、後ろ頭にはリアのウインドガラスが垂れ下がってきていました。娘を抱きなおした一瞬の行動が、身体を守ってくれました。あのまま、シートに座ったままだったら、背中を損傷していたと思います。その後救急搬送されました。救急車に乗る時、タクシーの後ろが見えました。トランクは、ぺしゃんこになり、衝撃の激しさを物語っていました。後日、保険担当から時速60キロでノーブレーキで追突したと報告されました。不幸中の幸いで娘にケガはありませんでしたが、私の方は首と腰をかなり痛め、入院をすすめられましたが、長女は入院の必要はなく、次女もいる為、通院にさせてもらいました。(タクシーの運転手は整骨院に事故前のレントゲンがあり、腰の骨がずれていることが証明され、後遺症障害認定を受けています。)
事故に遭ってから一週間後に痛みや倦怠感がピークに達し、日々つらくなっていきました。仕事はもちろん休みをもらい、家事をしたり子供を抱っこするのもつらい日々でした。むちうちと診断され腰より首に症状が残り、以後半年以上通院することになります。痛みと共に倦怠感が増していき、一か月後には机から落ちた物が拾えないほど、首から腕にかけて倦怠感がありました。痛み止めの注射、飲み薬、張り薬、リハビリ、整体と八方手を尽くしましたが目立った改善がなく、二年程は痛み止めの注射を肩にうってもらい仕事に通いました。
その時の精神状態はうつ病に近く、身体のしんどさから、精神が引っ張られ、動きたくない、外に出たくない、寝ておきたい、朝起きれない、食欲がない、寝ても倦怠感が抜けず、常にしんどさを感じ、活力も全く無くなっていました。それからゆっくり回復し、長い時間をかけて日常に戻っていきますが、このむちうちから、首を冷やせない体になりました。冬はもちろん、夏でも、冷房の冷えに気を使います。髪を洗った後は、首に湿気た髪の毛があるとだるくなる為、濡らしたままおいておけず、すぐに乾かしたり、首を常に冷やさない服を着たり、タオルを巻いておくなど工夫が必要です。
工夫しながらですが、その後元気に活動できるようになり、仕事に子供との遊びにと、毎日楽しく生活しておりました。病気とは無縁で、子供と毎週のように旅行に行ったりピクニックに行ったりとても活動的に過ごしていました。
そのころの自分は、若い時と同様、体力には自信があり、まさか自分がうつ病と診断されるとは思ってもみませんでした。30代の10年間はそんな元気いっぱいの10年間でした。
2019年1月、過労と心労で自宅で倒れ、救急車で搬送。ICUに運ばれ二日後、〇〇病院へ転院が決まる。
元気だった10年間、建設会社に勤めており、経理を担当していました。仕事は忙しかったですが充実しており、順調に出世しました。2018年社長の命令で、商工会議所に入会。普段の業務に加え、商工会議所の活動が増え、過労に輪をかけました。日常業務でさえ、土日に子供を会社に連れていき仕事をこなしていた程忙しかったのですが、商工会議所の活動はだいたい夜が多いので必然的に、睡眠時間が減っていました。この年の平均睡眠時間は4時間~2時間程でした。4月に入会し、半年が経ったころから私の仕事ぶりに不満を持った、会長、会長夫人からパワハラを受け始めます。商工会で外に出ることが増え、他の会社との繋がりができてきたことが原因だったようです。外で悪いことをしているという思い込みから、あることないこと言い始め、辞職をせまってくるようになりました。
社長の意見は、会長はほっとけば良い、辞めてはならないの一点張りで何の解決もならず、私は板挟みとなりました。このころから体調に異変を感じるようになりました。胃潰瘍、食欲減退、体重減少、耳鳴り、起立性障害、手足の震え、低血糖などです。ですが病院へ行くという発想はなく、どうにかやっていくしかないと、考えていました。
12月年末、パワハラはピークになっており、精神的に究極追い込まれていました。さすがにもう辞めるしかないと思い、社長に辞表を提出しました。
ですが退職することは断られ、辞表は捨てられました。
この時点で、精神的に限界を迎えていたと思います。辞めれなかった以上、業務は続けなければならないので、正月明けからまた仕事が始まりました。そんな中、自宅でトイレから出た後、倒れたようです。娘が救急車を手配してくれ、気が付いたら、労災病院のICUでした。
目が覚めた時、仕事に行かないといけない、どうしようと思いました。すぐに病院を出ようと思いましたが、転院先の説明を聞き、驚きました。〇〇病院て精神科?
なんで?どこが悪いの?
しばらく理解できずにいました。転院し、体重を計ったら38キロになっていました。ここまで痩せているのにも気が付いていませんでした。そして一番困ったのは、携帯電話の持ち込みの禁止でした。これでは仕事に支障が出る、仕事に行けれないならせめて携帯を持たせてくれと、医師と言い合いになりましたが、その携帯電話が一番ダメだ、仕事でストレス抱えているのだから仕事から離れなければ絶対に治らない!と強く言われ、ここで初めて自分は相当まずい精神状態なんだと実感しました。
その後おとなしく入院生活を4か月、自宅療養を2か月送りました。治療は薬なので、どんどん薬が強くなり、もうそのころの記憶はほとんどありません。
毎日何をしていたか全く思い出せません。ただ仕事の心配をしなくてよくなった事は、10年ぶりに休めたな、という印象でした。
退院後、改めて辞表を提出、受理してもらえ次の職場は行政書士の事務所になりました。(ここでの仕事は一日10~12時間の書類作成業務)自宅療養2か月したあと、仕事に復帰しますが、前のような元気はなく、薬でしんどいのか、病気でしんどいのかわからない状態が続き、半年後、病院の判断でまた入院することになりました。数か月の入院、退院、自宅療養、会社勤務という繰り返しを2年程繰り返したと思います。会社にも申し訳なく、いつまで経っても治らない症状に苛立ちを感じ始めました。また薬の投与では根本的な治療にはならないと気が付き、ほかに治す方法がないのかと考え始めました。
病院で処方された薬
レキソタン
ワイパックス
ソラナックス
メイラックス
ランドセン
ベルソムラ
エチゾラム
ベンザリン
サイレース
レンドルミン
ドラール
アモバン
デエビゴ
ルネスタ
フルニトラゼパム
クエチアピン 他
(症状により医師がこの中から6,7種類を組み合わせ処方。日中用、とんぷく、睡眠時。ドラールの離脱症状が一番しんどいと感じた。)
・首、肩回りの痛み・だるさ(倒れる少し前から上半身のマッサージに通う)
・常に風邪を引いている。微熱がある。(その都度検査に行くが原因特定できず)
・めまい(メニエールと診断され薬を服用したこともあるが、あまり効果なし)
・食欲不振(体重減少)
・過食(体重増加)
・のどの違和感
・首が絞めつけられるような感覚
・不眠
・低血圧
・寒いところにいられない
・汗が出ない
・不整脈(検査するが異常なし)
・目の異常・みえにくい(眼科に行くがさほど度数は変わってない)
・まぶしい(サングラス・帽子を常に着用)
・目の渇き(目薬を常備)
・のど、口が乾く(飲み物を常に持ち歩く)
・過度の便秘(下剤、便秘用サプリを摂取)
・横になっている時間が多い・昼寝が必要
・倦怠感(これが一番困り、産婦人科、泌尿器科で検査するも異常なし)
・気力低下
・天気に左右される。雨の日は特にしんどい
・気が滅入る(悪いことしか考えられない)
・常に耳鳴り
・耳鳴りが強くなると頭が締め付けられ、その状態から抜け出せなくなる。常に緊張状態が続き、不眠につながる(薬が増える)
・不安感(先の不安に囚われ、前向きな感情が全くなくいつも不安でいる)
・手足が冷たい(カイロ・湯たんぽで常に温める)
様々な症状と付き合いながら、なんとか生活している感じでしたが、精神的に一番ダメな時は自殺まで考え、ロープを購入するまでに至っていました。
身体の不調が精神を引っ張り、いい考えには及ばないようになっていました。
事あるごとに色んな病院へ行き、全く診断が出ず、解決方が見つからないことに不安を覚えていました。病院はどこを回ったかわからないほど、たくさん行きました。長く不調が続き体力も消耗しきっていたように思います。メンタルはいい方向には向かず、考えること全てがマイナスでどんどん落ち込んでスパイラルから抜け出せずにいました。
普段の私は全く真逆で、常にプラス思考、活動的といった感じでしたが、性格が変わってしまったかのようでした。
そんな時、元気なころの私を知っている友人に全然治らないと話をしたところ、元々元気だったのに薬を飲んでもこんなに長いこと治らないのはおかしい、と私の症状を調べてくれネットで見つけた松井病院のことを教えてくれました。
電気治療で治る?この病名は何?半信半疑でしたが、いろいろ病院巡りをしても何も見つけられなかったので、藁をもすがる思いで受診してみることにしました。
原先生と出会い本当に良かったと思います。
初診で先生は頸性神経筋症候群に間違いない!と仰りました。
そうなのか、私はこんな名前の病気だったのか。
長い病院巡りに終わりがきたと、ものすごくほっとしたのを覚えています。
やっと治る。希望を持って、私は原先生を信じて電気治療を受けてみることにしました。
当初入院をすすめられましたが、家には二人の子供が居るため、自宅(岡山)から通うことにしました。入院すれば毎日朝晩2回電気治療とのことでした。毎日は無理でしたが週に2、3回ペースで通える限り通いました。
電気治療は家電製品の低周波治療器とは違い、一回ですぐに効果がわかりました。肩や背中周りがすぐに楽になり、足のつま先まで血流が良くなったように感じます。楽になる感覚がとても気持ちよく、終わった後は一時的に開放された気分になりました。この感覚があったからこそ、通い続けられたと思います。最初の頃は、電気治療受けた次の日にはもとに戻っていました。楽になれるので、高速を使ってでも通いたいと思い、週2,3回のペースで娘や友人に運転してもらい通いました。その後週1回くらいとなり、2週間に1回となりと徐々に減らしていけました。今では、数か月に一度でも平気でいられるようになりました。もう通う必要はないのかもしれませんが、気持ち良さと、疲れを溜めない為にも、予防として電気治療を受けたいと思っています。
頸や肩の凝りがほぐれることで、精神的な事はみるみる解消していきました。
布団から出る気力もなかったほどでしたが、1,2か月ほどで、買い物が楽しくなったり、温泉に行ってみたり、映画を観たいと思えたり少しづつ行動にも変化が出てきました。半年後には香川に来たついでに少し観光をして帰っていました。
欲しいものがみつかるようになり、見たい景色が増えたり、時間をどう使おうかと考えれるということは、それだけ未来が考えられるということです。明日の楽しみが少しづつ増え、一週間後の予定を入れ準備ができたり、一か月後の美容院の予約を入れ楽しみにしたりと、どんどん未来が明るく見えはじめたのです。自殺しか考えられなかった自分に、新しい未来が待っている。とても素晴らしいことでした。
薬でのうつ病治療は鎮静をかけられ、何も考えられない状態へもっていかれます。極度の疲労の状態を回復するには睡眠薬も必要だったと思います。しかし、ずっと薬で鎮静をかけたままの状態でいると、思考力は完全になくなり、正常な判断さえわからなくなっていきます。
薬の効いたままの状態で仕事をするのは、眠い状態から無理矢理覚醒させて頭を働かすように意識するので、身体がとてもしんどいのです。そのしんどさから逃れるために、薬を抜くと今度は離脱症状で起きられなくなり、会社を休む、それの繰り返しでした。一度強い薬を使うと、軽くしていくのも大変な努力が必要で負のループから抜け出せなくなっていました。記憶も断片的で今も忘れていることがたくさんあります。
電気治療を始めてから、身体が軽くなったことにより、薬が減り、その分自然と頭が回るようになり、やっと目が覚めた、という感覚です。心身ともに晴れやかで未来に希望が持てるようになりました。
この病名、治療、原先生に出会えたことで、私は一生救われたのかもしれません。この病気がまだもし見つかっていなければ、私はまだ眠ったままだったかもしれませんし、今がなかったかもしれません。快適に毎日を過ごし、美味しいと思える食事をとり、自分や娘たちの未来を考えられる。今までの苦しみが今は全く感覚的にも思い出せず、少しの不安に落ちることもありません。治療を始める前では想像もつかなかったことです。一生このまま苦しい状態で過ごすか、一生を終わらせるか。こんな精神だったのです。
それが今は心も体も軽い。明るい。明日の予定を考えながら眠れる。薬からも解放され、身体の不調はほとんどなくなりました。私のように、たまたま強いむちうちの経験があり、首を痛めるとうつ病のような症状になるという経験を持っていれば、少し繋がりがわかるかもしれません。
この体験をぜひ、今うつ病と診断されている方たちにも届け、こんなに世界が変わるということを知ってもらいたいと思います。以前に東京の精神科の先生と面談しました。まだ認知されていない病名ですが、東京でも興味を持ってくれる先生がいらっしゃるということで、早く世の中に浸透してほしいと思っています。うつ病が増えた背景には、現代人のパソコン生活や、運動不足なども関係していると思いますが、それは頸の筋肉が絶対に関係していると私は実感しました。一日中パソコン仕事をし、凝りをほぐさず、睡眠不足が続けば誰だってこのような症状に陥ると思います。私も気が付けば離婚してからずっとデスクワークでした。現代人なら誰だって思い当たる節があるのではないでしょうか?うつ病と診断された方は最初、薬も必要ですが、電気治療を取り入れれば必ず回復するように思います。この病名が認知され、電気治療がもっと普及すれば、薬よりもっと早く、もっと大勢の方がうつ病が完治する病気へと変わっていくはずです。更に、患者さんにとって金銭面でも負担しやすく、一回の治療費が安いのもメリットです。エステやマッサージ、家電製品のような高額な代金を払う必要がなく毎日でも通える金額。とても良心的だと思いました。これも私が通えた理由のひとつです。実際にマッサージ器や、低周波治療器なども買いましたが、効果はあまり感じられていません。
もっと広く、もっと早くこの病名が広まって、私のようにうつ病から完治できるということ、身体が変われば精神的にも変わるということをたくさんの医療関係者やうつ病患者の方に知ってもらい、たくさんの方が救われることを願っております。